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2003/09/16 ベルンハルト・シュリンク「朗読者」、その不完全性と真実と自由


この作家は人間観察が得意で、それを一般化しながら表現することができる。
例えば、幸福な記憶についての考察などがその好例だ。

どうして、かつてすばらしかったできごとが、そこに醜い真実が隠されていたというだけで、回想のなかでも
ずたずたにされてしまうのだろう?パートナーにずっと愛人がいたのだとわかったとたん、幸せな結婚生活の思い出が苦いものになっ
てしまうのはなぜだろう?

幸せというのは、それが永久に続く場合にのみ本物だというのか?

このように直接的に表現することなく「物語自体に語らせる」というのも一つの方法ではあるし、そちらの方が小説としてはうまい方
法なのかもしれないが、この作家はこのような直接的な表現を小説の中に無理なく溶け込ませることに成功している。
直接さを無理に避けることで不必要に難しくなってしまったり、曖昧な読後感を与えるようなことになるくらいなら、シュリンクの方
法の方が優れている。

物語作家としての(書き方の)上手さは読めば誰にでも分かるものだ。だがこの作品の重要性は、もちろんそこにあるのではない。
「朗読者」の中では、上記で述べたようなことが、別な命題として再提出される。
そしてそれが物語りのエンジンになっていく。

私たちは、最高の幸福の中にあっても、「永久」に対する恐怖を捨てることができない。
ここに確かに存在する幸福が苦悩と困惑に満ちた生を生き抜くための支えになっている時、その幸福を「偽物」にしてしまうような真
実を私たちはどのように受け入れれば良いのか。

他の全てにおいて正しかった人が、一つの嘘をついたとする。
するとその人は「嘘つき」といって指差される可能性を理由を、二度と打ち消すことができない。
そして、嘘をついたことのない人なんていないという事実を私たちはどう受け入れれば良いのか?

「そこに一つ瑕がある」ということが、そこから全ての価値を取り上げてしまうことにはならない。
ならないはずだ、という信念もなく生きられる人はいない。
私たちは不完全なのだし、それに逆らおうとしても抗いきれるものではない。


過去のことが「片付いたこと」として感じられるのではなく、現在進行中のこととして感じられてしまう私たち。過去は現在の一部で
あると感じられてしまう私たち。
シュリンクは私たちを見抜く。
悲しいことを見たり経験したりしたとき、過去の悲しみを現在のこととして蘇えらせてしまう私たち。
不完全性を理由に、幸福を否定することはない。同時に、不幸を否定することもできない。
だが大切なのは「幸福を否定することはない」ということだ。

私たちの不完全性は、私たちの幸福を叩き潰して不幸に腐らせようとする。
だが私たちは生き抜いていかなければならない。
不完全性は真実だ。真実を否定したら腐った泥を喰わなければならない。だからそうはできない。
だから、それを幸福か不幸かといった問題とは別の「真実」だと思おう。
真実と幸不幸を切り離す自由を、私たちは志向することができる。
自由になれるかどうか、幸福を幸福として保持できるかどうか、それはまた別の問題だ。
ただ、自動的に壊されてしまいそうに見える私たちの大切なものを、どこまでも守り抜いていこうとすることはできる。

それは簡単なことではない。
この物語を最後まで読めば、シュリンクの覚悟が分かる。
ハンナの選んだ結論は、私たちに自由と真実がどういうことなのかを問い詰める。


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